2025-01-01から1年間の記事一覧
由緒:室町時代、小田原北条氏の家臣で世田谷一帯の領主であった吉良氏は、小田原の役で北条方に組した為、北条氏滅亡後、領主の座を追われるが、その家人七家によって天正19年(1591年)、宇佐八幡宮(世田谷八幡宮)から八幡神を勧請し、創建したことには始…
由緒:天正十二年十二月、平貞盛の数世の孫服部貞殷が府中の六所宮現大国魂神社を勧請して赤堤の鎮守と定め、服部家の祈願所として奉斎したのが始めです。天明七年九月社殿再建、明治七年には赤堤村社と定められました。(「東京都神社庁」より引用) 住所:…
由緒:善性寺は、勝国寺第九世住職日宥が良弁僧正作の不動尊像を得て、正徳5年(1715)当地に赤堤山善性寺と号して創建したといいます。新編武蔵風土記稿に記載はないものの、明和年間(1764-1771)焼失していたためと思われます。(「猫の足あと」より引用…
由緒:寛治五年(1091年)後三年の役の帰途、源義家公がこの宮の坂の地で豪雨に会い天気回復を待つため、滞在することとなり今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の御加護に依るものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の御分霊をこの地に勧請しお祭りした。(「…
由緒:曹洞宗寺院の豪徳寺は、大谿山と号します。世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建したと伝えられます。高輪泉岳寺初世の門奄宗関が中興開山、寛永10年(1633)世田谷領が彦根藩領となり、当寺…
由緒:真言宗豊山派寺院の勝国寺は、青龍山と号します。勝国寺は、吉良政忠(法号勝国寺照岳道旭)が開基となり、世田谷城の裏手鬼門除けとして丸香山薬師院と号しと号し創建、吉良家滅亡後も江戸幕府より12石の朱印状を与えられた御朱印寺として栄え、末寺6…
由緒:明治維新の立役者である伊藤博文等数多くの逸材を育てた教育者、吉田松陰先生をお奉りする神社。安政の大獄により江戸で処刑された松陰先生を弟子達が長州藩の下屋敷のあったこの地に埋葬した。明治十五年墓畔に社を築き魂の鎮座する所となる。(「東…
由緒:平安後期、源氏が陸奥安部氏征討の折、武運を祈願したと言われ、それ以前に創建されたものと思われる。江戸期には、天領・大名領・旗本領に細分化されていた太子堂村は、八幡様の祭礼を以って心を一つにしたと言われ、その心は今日にも受継れている。…
由緒:天台宗寺院の教学院は、竹園山最勝寺と号します。教学院は、慶長9年(1604)玄応大和尚が江戸城内紅葉山に創建、後赤坂三分坂、継いで青山南町4丁目へ移転、当地へは明治41年に移転したといいます。貞享4年(1687)には相州小田原城主大久保加賀守の菩…
由緒:明暦年間(江戸時代初期)に旧池尻村・池沢村の産土神として創建鎮座され、村の共同生活と信仰の中心として現在に至っている。境内にある井戸水は京都伏見の薬力明神の託宣による霊水として知られている。(「東京都神社庁」より引用) 住所:東京都世…
由緒:真言宗豊山派の勝養寺は、鶴林山厳浄院と号します。勝養寺は、恵運法印が1527年創建したと伝えられます。南葛八十八ヶ所霊場41番札所、荒綾八十八ヶ所霊場8番札所です。(「猫の足あと」より引用) 住所:東京都葛飾区青戸3-25-14 御朱印拝受時…
由緒:日蓮宗寺院の本法寺は、妙栄山と号します。本法寺は、文禄4年(1595)寿明院日慶上人が神田に土地を拝領して創建、慶安2年(1649)上野谷中へ、元禄2年(1689)当地へ移転したといいます。境内には狩野元信の墓・伊藤宗印の墓碑があるといいます。(「…
由緒:日蓮宗法泉院は、平河山と号します。千栄院は、寛永11(1634)に法恩寺の塔頭として大厳院日久が創建したといいます。(「猫の足あと」より引用)住所:東京都墨田区太平1-25-11 御朱印拝受時間:11:33 御朱印料:0円
由緒:亨保年間(1720年)近江の国の人千田庄兵工氏此の地に来り、時の幕府徳川八代将軍吉宗公に願い出て、此の土地を開拓せんと3年の長きを費やして村造りを固めなし、其の氏をとって武蔵野国南葛飾郡千田新田と名付けらる。後に寛政九年村全体が一橋家の領…
由緒:戦災により焼失した鎮守社5社を、戦後合併し、氏子の方々により建立された神社。下町気風にあふれる地域柄、年々賑やかさを増している。(「東京都神社庁」より引用) 住所:東京都江東区大島7丁目24-1 御朱印拝受時間:9:15 初穂料:500円 書置き
由緒:大永七年、室町時代、富士信仰の尤も盛んな時代に、里人たちは、甘露寺元長に勧請し、霊峯富士山の御守護神、木能花咲耶姫命を戴き、この笄塚の上に浅間神社として創立し、御遷座をなした、とされています。(「東京都神社庁」より引用) 住所:東京都…
由緒:日蓮宗寺院の経王寺は、大黒山と号します。要詮院日慶が開山、当地の豪農冠勝平(新堀村の名主冠権四郎家の祖)が開基となり、明暦元年(1655)当地に創建しました。本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として祀られています。…
由緒:立花白髭神社は、墨田区立花にある白鬚神社です。立花白髭神社は、葛西川村の鎮守社として天和2年(1682)に創建したといい、葛西川の白髭神社と呼ばれています。(「猫の足あと」より引用) 住所:東京都墨田区立花六丁目19番17号 御朱印拝受時間: 初…
由緒:江戸時代初期の1630(寛永7)年に創建された。関東大震災および東京大空襲で被災し、古文書が焼失したため詳細は不明である。当社の裏を流れる小名木川は、江戸幕府が小名木四郎兵衛に命じ、行徳塩田から江戸湊までの運搬経路として開削させた運河である…
由緒:冬木弁天堂は、木場の材木豪商、冬木弥平次が宝永二年(1705年)、茅場町(中央区)から、深川に屋敷を移転した際、邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置しました。そのためいまでもこの町を冬木町といいます。この弁財天は、等身…
由緒:権現台の鎮守として、大井権現台の地名の由来となった神社。移転を重ね、現在は周辺をビルに囲まれた立会道路沿いに建っています。江戸時代に流行った火事や疫病から大井村の人々を救った権現神社の天狗。その感謝の念が「大井蔵王権現太鼓」の発祥と…
由緒:天正年間の創建と伝えられる。当時この辺りは海辺であり、里人達は漁業をもって生活をしていた。ある時黄金色に輝く像が岸辺に流れつき里人達は畏れて沖へ流すこと三度に及んだが元の場所に寄り来たるので社を建てて、この像を祀ったのが当社の起源と…
由緒:谷戸三輪神社は大田区大森西にある三輪神社です。谷戸三輪神社は、江戸時代初期に大黒天(第六天)を勧請して創祀、谷戸部落・大森西の鎮守だったといい、明治7年三輪神社と改めたといいます。(「猫の足あと」より引用) 住所:東京都大田区大森西5丁…
由緒:矢口中稲荷神社は、大田区矢口にある稲荷神社です。矢口中稲荷神社は、「多摩川七福神巡りパワースポット」によると、約200年前に金子作衛門が京都伏見稲荷を勧請して矢口村田町に創建、耕地整理により昭和10年当地に遷座したといいます。 住所:東京…
由緒:頓兵衛地蔵堂は、大田区下丸子にある地蔵堂です。頓兵衛地蔵堂は、南北朝時代に新田義貞の子義興が矢口渡しで謀殺された際に、謀殺に加担してしまった船頭頓兵衛が、加担したことを悔いて、新田義興らの冥福を祈って建てたものだと伝えられることから…
由緒:押上天祖神社は、墨田区押上にある天祖神社です。押上天祖神社は、延元年間(1336-1340)より祀られていたと伝えられ、江戸時代には朝日神明宮と称していたといいます。明治5年押上村の村社に列格したといいます。(「猫の足あと」より引用) 住所:東…
由緒:向島百花園は、東京都墨田区東向島三丁目にある都立庭園で、江戸時代に発祥をもつ花園である。みどころは早春の梅と秋の萩である。隅田川七福神の発祥の地であり佐原鞠塢が所有していた、ともいわれる「福禄寿」が祭られている。(ウイキペディアより引…
由緒:長浦神社は、墨田区東向島にある神社です。長浦神社の創建年代は不詳ですが、第六天社として創建、明治維新後地名より長浦神社と改称したといいます。明治9年別当寺だった真光寺で祀られていた登由宇気神を合祀、この稲荷は安産稲荷とも呼ばれて崇敬が…
由緒:大川町氷川神社は、足立区千住大川町にある氷川神社です。大川町氷川神社は、永仁2年(1294)に当地鎮護のために創建、大正2年に荒川放水路造成のため当地へ遷座したといいます。千住七福神の布袋尊です。(「猫の足あと」より引用) 住所:東京都足立区…
由緒:元宿神社は、足立区千住元町にある稲荷神社です。元宿神社は、甲州に住んでいた因幡守貞宗の長男蔵人が大永六年(1526)武州安達郡への移住を経て陸羽街道「元宿」に転居、その子左エ門尉信義が、天正元年(1573)当地を開拓し、翌年(1574)八幡社を…