dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

西国三十三ヶ所-28-菩提山穴太寺 2020/12/29

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大原野神社921→レンタカー17km→955穴太寺

由緒:慶雲二年(七〇五)の文武天皇の御世に大伴古磨によって創立されたと伝えられる丹波でも屈指の古刹です。 庭園は多宝塔の東部を借景にしており、江戸中期から末期にかけての手法をよく表現した名園のひとつです。夕陽の沈む西庭の景観もまたすばらしいものです。安寿と厨子王丸の悲話の伝説に語られる厨子王丸肌守御本尊をおまつりしています。 2人が山椒太夫に捕らえられ、過酷な責めを受けた時、その苦しみを代わりに受けてくださった仏様といわれています。 安寿が厨子王丸を逃がし都へ上る途中、厨子王丸をかくまった寺の一つが穴太寺だったといわれ、のちに、厨子王丸はこの肌守御本尊を穴太寺に奉納し供養したと伝えられています。(「西国三十三所巡礼の旅」より引用)

住所:京都府亀岡市曽我部町太東辻46

御朱印拝受時間:10:05

御朱印料:300円

穴太寺の駐車場は賽銭方式で300円でした。入場料は無料でした。

 

二十二社-24-大原野神社 2020/12/29

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善峯寺849→レンタカー7km→903大原野神社

由緒:春日大社平城京の東、古来より神山と崇められる御蓋山(みかさやま)の西麓に神護景雲2(768)年に鎮座し、政権を担う藤原氏にとってはまさに王城鎮護、国家鎮護の社でありました。かたや大原野神社長岡京の西、小塩山の東麓に鎮座し、平安京遷都後も二十二社(にじゅうにしゃ・常に朝廷の殊遇を受けた社で、国家に重大事や天変地異のあるごとに使を遣わされて奉幣を受けた二十二の神社)に列し国家鎮護の社とされました。(大原野神社HPより引用)

住所:京都府京都市西京区大原野南春日町1152

御朱印拝受時間:9:16

初穂料:300円

駐車料金が500円でした。正月の準備がすっかり整っていました。

 

西国三十三ヶ所-27-(見学施設-680)西山善峯寺 2020/12/29

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京都622→JR東海道本線121C→633長岡京→徒歩→トヨタレンタカー長岡京店806→レンタカー7km→822善峯寺

 

由緒:善峯寺は観音信仰の他にも、薬師如来、釈迦如来の信仰が有名です。 薬師如来は徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院出生の由緒により、玉の輿へと導いた「出世薬師如来」と崇められ、「開運出世」の信仰を集めています。 釈迦如来は明治時代の遷座霊験より、腰痛神経痛など「当病悉除」の信仰を受けて、平成7年阪神淡路大震災の霊験では「息災安穏」の信仰が広まり、その護符は「おちないお守り」として親しまれています。(「西国三十三所巡礼の旅」より引用)

住所:京都府京都市西京区大原野小塩町1372

御朱印拝受時間:8:43

御朱印料:300円

京都からJR東海道線普通列車長岡京駅へ。10分ほど歩いてトヨタレンタカー長岡京店へ。乗り捨て料金込み9350円でトヨタ「タンク」京都501わ8822を借りました。最初の目的地は西山善峯寺。駐車料金500円、入場料500円を徴収されました。

旅立ち 2020/12/28

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東京駅八重洲口2220→グランドリーム11号→602(定617) 京都駅烏丸口

西国三十三所二十二社の完訪の仕上げに、夜行バス一泊、現地一泊の関西遠征に出発します。新型コロナの第3波の影響で、本来なら混雑する年末の東京駅八重洲南口バスターミナルは、閑散としていました。グランドリーム11号は50%の乗車率。ダブルデッカー、トイレ、コンセント、Wi-Fiありでした。アサインされたsestは6B。階段前の後ろがいない(後ろが階段)の席なので指名して予約したのですが、階段廻りの構造物でリクライニング角度が浅く、バスタ新宿を出発したあと、一つ前の5Bが空席だったので移動しました。鮎沢PA0012-0030、御在所SA0419-0440の下車休憩。年末の渋滞は新型コロナのせいで発生せず、定刻の15分前にまだ暗い京都駅烏丸口に無事撞着しました。













 

神社-191-出雲大社東京分祠 2020/12/20

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由緒:出雲大社東京分祠は、出雲大社八十代宮司出雲大社教の初代管長である千家尊福公が、東京及び東日本の御神徳宣布のため、明治11年1月11日、 千代田区神田にある神田神社社務所内に、東京出張所を設けたのに始まります。神田神社は、出雲大社と御祭神が同じだけでなく、 当時の宮司は平田学派の平田盛胤でその関係も深 く、また初代の出張所長は本居宣長の学統を継ぐ本居豊頴で、祭神論の当時は東京における出雲派の拠点でもありました。やがて、明治政府の宗教政策により神職による布教が禁じられたことで、明治15年5月尊福公は出雲大社教の特立をはかることになりますが、それに先立って東京出張所は明治15年4月4日麹町区上二番町に移転されました。明治16年5月4日には東京出張所に神殿を設立し、尊福公が親しく出雲より御分霊を奉じて鎮祭し、ここに出雲大社東京分祠が建立されたのです。(出雲大社東京分祠HPより引用)

住所:港区六本木7-18-5

御朱印拝受時刻:10:25

初穂料:500円



神社-190-朝日神社 2020/12/20

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由緒:朝日神社は、旧記(麻布台懐古碑)によれば旧暦天慶年中(西暦940年)草創と伝えられております。はじめ、市杵島姫大神(弁財天)を祭り、当地の鎮守の社として広く庶民に尊信されて居りました。その後、伝うところによれば、大和の武将 筒井順慶の姪で、のちに織田信長の室となりました 朝日姫(清心尼)様が、渋谷から長者ヶ丸(現広尾辺)を過ぎる途中、草むらに光輝くものを見つけ、近づき凝視してみたところ、稲荷の神像と観音の像を見つけました。草むらより持ち帰った観音像は専称寺に祀り、稲荷の神像は当社に祀られ、弁財天と合祀して【日ヶ窪稲荷】と呼ばれるようになりました。その後、明和年間に【朝日稲荷】と改称され、益々尊敬する人々多くなり、隆昌を極め、明治28年【朝日神社】と改称し、現在に至ります。(朝日神社HPより引用)

住所:東京都港区六本木6-7-14

御朱印拝受時刻:10:06

初穂料:500円








 

 

 

 

 

 

神社-189-愛宕神社 2020/12/20

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由緒:1603年、慶長8年、江戸に幕府を設く徳川家康公の命により防火の神様として祀られました。慶長15年、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等将軍家の寄進により、建立されました。祭礼などには下附金を賜るほど、当時の幕府の尊崇は篤いものでした。その後江戸大火災で全焼してしまいましたが、明治10年、9月に本殿、幣殿拝殿、社務所の再建がなりました。大正12年9月1日、関東大震災に、昭和20年5月24日帝都大空襲により太郎坊神社を残し社殿は焼失しましたが、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。(愛宕神社HPより引用)

住所:東京都港区愛宕一丁目五番三号

御朱印拝受時間:9:19

初穂料:300円