2025-02-01から1ヶ月間の記事一覧
由緒:当神社は平安朝の中の頃、人皇第六十二代冷泉天皇の御代、安和二年(969年)に南品川常行寺の僧、尊栄法印が常陸の国、鹿嶋神宮より御分霊を勧請し当地に祀ったのが始まりである。(「東京都神社庁」より引用) 住所:東京都品川区大井6丁目18−36…
由緒:正暦元年(990)藤原兼家が摂政の時、智弁という僧により開かれました。その後60年余りすると、文亀元年、梅巌という僧が納経塚の傍らを通るとその塚の中か読経の声が聞こえたので仏像を掘出しこの寺に安置したそうですこの仏像を御本尊とし別名「経読…
由緒:東京の下町「入谷」に鎮座する小野照崎神社。御祭神は、百人一首にも撰された平安初期有数の歌人であり、漢詩は「日本の白楽天」と呼ばれ、その文才は天下無双、「その才は神に至る」と評される程の絵の大廈でもあり、法律に明るい当代きっての学者で…
由緒: 1281(弘安4)年5月の元寇において、伊予水軍を率いた河野対馬守越智通有は、大山祇神社で戦勝を祈願したのち、白鷺の瑞祥により元軍を撃退した。帰陣の夢中、通有は大山祇大神を武蔵国豊島郡に勧請せよとの神託を受け、上野山内にあった河野氏の館に奉…
由緒:千束稲荷神社は、台東区竜泉にある稲荷神社です。千束稲荷神社は、千束郷の北側(後に龍泉寺村)に位置する当地に、寛文年間(1661-72)創建したといい、明治維新後は龍泉寺村の村社に定められたといいます。(「猫の足あと」より引用) 住所:東京都台…
由緒: 1655年に創建され、吉原遊廓の誕生(1657年)よりも2年早い。寺のウェブサイトによると、同寺が投込寺と呼ばれるようになったのは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡した際にこの寺に投げ込んで葬ったことによる。「病気などで死んだ遊女は吉…
由緒:この寺は寺伝によれば、791年(延暦10年)坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる。明治維新の折、1868年(慶応4年)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を現在上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行っている。そのた…
由緒:本所法恩寺末、本尊塔中題目、釋迦多寶。高光山と號す。寺内に瘡守薬王菩薩を安置す。之は笠森稲荷社を享和年間に小石川白山御殿跡から移したもので、明治初年名を改めたのである。昭和七年五月自火で焼失した。(「下谷區史」より) 住所:東京都台東…
由緒:上總誕生寺末、本尊十界曼荼羅。松榮山と號す。開山は自應院日信(寛文二年三月二十一日寂)開基は兼康祐悦である。(「下谷區史」より) 住所:東京都台東区谷中5-4-9 御朱印拝受時間: 11:24 御朱印料:志1000円
由緒:全生庵(ぜんしょうあん)は、東京都台東区谷中五丁目にある臨済宗国泰寺派の寺院。山号は普門山。本尊はかつて江戸城の守り本尊だった葵正観世音菩薩。開基は山岡鉄舟。(「ウイキペディア」より引用) 住所:東京都台東区谷中5-4-7 御朱印拝受時間:…
由緒: 新曾妙顯寺末、本尊十界曼荼羅。寂照山と號す。寺傳には正安二年四月、下谷上野町に起立とあるが、上野町は寛永寺創立について、寺地に宛てられた二羽村の替地として開かれたのであるから、正安は正保か慶安の誤であらう。開基は龍長院日宣。明暦三年…
由緒:京都本妙寺末、本尊十界曼荼羅。常親山と號す。鶴林院日養(明暦三年六月十四日寂)の鐘醫七年六月に開基するところである。境内日親堂には鍋冠日親上人像が安置してある。又茶道宗匠川上不白の墓がある。(「下谷區史」より) 住所:東京都台東区谷中…
由緒: 玉澤妙法華寺末、本尊十界曼荼羅。長清山と號す。養泉院日要の開く所、日要は元和元年五月寂した。寛永七年、幕府用地となり、替地竝に移轉料を給せられ、現地に移つたのである。 (「下谷區史」より) 住所: 東京都台東区谷中5-2-28 御朱印拝…
由緒:功徳林寺は、明治7年に開設された谷中墓地で法要をできない不便さを憂え、伯爵島津忠寛が発起人となり明治18年に許可を得て、明治26年堂塔建立、知恩院順譽徹定が開基となったといいます。当地は天王寺の旧地にあたり、かつ笠森稲荷社、お仙茶屋の故地…
由緒:身延山久遠寺末、本尊塔中題目、釋迦、多寶。運立山と號す。延寶八年二月二十八日の建立にかゝる。開山は覺善院日逮(貞享元年三月十八日寂)である。當時を俗に鶯寺といつたことが改撰江戸志に見えてゐる。(「下谷區史」より) 住所:東京都台東区谷…
由緒:日蓮宗寺院の長明寺は、日照山と号します。長明寺は、在天院日長聖人(元和6年1620年寂)が開山となり、開基志村八兵衛尉夫の妻の法号(蓮光院殿日照禅尼)より日照山と号して慶長14年(1609)に起立、大正年間に谷中正運寺を合寺したといいます。(「…
由緒: 創建年代は不明であるが、一説では北条時頼の開基といわれている。板橋区の安養院も時頼が関わっている。元々は元宿(現・千住元町)にあったが、1598年(慶長3年)の火災で焼失した後、現在地に移転した。江戸時代、徳川将軍は鷹狩のために江戸郊外…
由緒:新義真言宗寺院の長円寺は、月松山照光院と号します。長円寺は、出羽湯殿山の行者雲海が寛永4年(1627)当地に庵を結び、後に賢俊が開山したといいます。荒川辺八十八ヶ所霊場47番札所、荒綾八十八ヶ所霊場62番札所です。(「猫の足あと」より引用) 住…
由緒:真言宗豊山派のお寺です。三河島大師として親しまれ、江戸の霊場としてにぎわいを見せていたと言われています。江戸時代は、御府内二十一ヵ所の内第十五番の観音札所、また豊島八十八ヵ所の八十三番札所、新四国八十八ヵ所の四十二番札所にあげられて…
由緒:真言宗豊山派寺院の円性寺は、医王山仙寿院と号します。円性寺は、存秀和尚(元和元年1615年寂)が開山したといいます。荒川辺八十八ヶ所霊場54番札所、荒綾八十八ヵ所霊場36番札所です。境内に、北三谷新田(東和1~2丁目及び東綾瀬1~3丁目付近)を…
由緒:天文年間(1532年~1555年)、長偏僧都によって開山された。江戸時代、徳川将軍は鷹狩(鶴御成)のために江戸郊外のこの地を度々訪れており、当寺は法界寺とともに「御膳所」(休憩場所)に充てられた。将軍が出入りする際は、正門ではなく東側の竹藪…
由緒:古くからの寺の古文書は失われているため、創建年代は不明である。ただ尾久地区では最古の寺院といわれている。本尊の阿遮羅明王は奈良時代の僧良弁作といわれているが、実際は室町時代のものと推定されている。(ウイキペディアより引用) 住所:東京…
由緒:真言宗豊山派の慈眼寺は医王山普門院と号します。1598年に創建され、もと阿遮院末、現田端与楽寺末です。本尊の薬師瑠璃光如来は眼病や産婦の乳の出がよくなるなどの霊験があるといわれ特に女性の信仰を集めています。荒川辺八十八ヶ所霊場9番札所、豊…
由緒:新義真言宗寺院の養福寺は、文殊山薬師院と号します。養福寺の創建年代は不詳ですが、永正元年(1504)に賢空が中興開基したといいます。荒川辺八十八ヶ所霊場53番札所、荒綾八十八ヶ所霊場88番札所です。(「猫の足あと」より引用) 住所:東京都足立…
由緒:真言宗豊山派寺院の薬師寺は、宝珠山普門院と号します。薬師寺は、常陸国那珂郡根本村の根本佐右衛門が先祖伝来の不動明王を背負い、諸国遍歴の途次、この地に錫を止め賢明と共に一寺を建て、不動明王を本尊として不動院を開き、賢明法師が寛永9年(16…
由緒:「赤門寺」という通称で親しまれている浄土宗寺院で京都知恩院を本山とする。寺伝では文応元年(1260)勝専社専阿上人を開山、新井政勝を開基とし草創されたという。江戸時代に日光道中が整備されると、ここに徳川家の御殿が造営され、徳川家忠・家光…
由緒:元久二年の創立で、豊島左衛門尉経泰が勧請。文安年間に太田道灌神領を寄進し、徳川時代神領を賜わり、寛永十二年社殿を現在の地に御遷座し、明治になり日暮里・谷中の総鎮守の神社として名高く、八月の大祭には百軒近く露店が並ぶ。(「東京都神社庁…
由緒: 天徳年間(957年~961年)に創建された。元々は現在の隅田川神社付近にあり、「大鏡山明王院隅田寺」と称し、本尊は不動明王であった。天正年間(1573年~1593年)に、当時の住職だった鑁海によって現在地に移され、「隅田山吉祥院多聞寺」に改称し、…