dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

神社-449-代田八幡神社  2022/1/10  

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由緒:室町時代、小田原北条氏の家臣で世田谷一帯の領主であった吉良氏は、小田原の役で北条方に組した為、北条氏滅亡後、領主の座を追われるが、その家人七家によって天正19年(1591年)、宇佐八幡宮(世田谷八幡宮)から八幡神を勧請し、創建したことには始まるとされる。天和元年(1681年)には、現在地に社殿等が建立され、地元の人々からの篤い信仰を集めた。一時、明治13年の暴風雨で社殿や樹林が壊滅し、昭和20年の戦災でも社殿が焼失したが、昭和33年に再建され、現在に至る。(「神社人」より引用) 

住所:東京都世田谷区代田3-57-1    

御朱印拝受時間:13:08 

初穂料:300円    書置き 

                       

神社-448-赤堤六所神社  2022/1/10

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由緒:天正十二年十二月、平貞盛の数世の孫服部貞殷が府中の六所宮現大国魂神社を勧請して赤堤の鎮守と定め、服部家の祈願所として奉斎したのが始めです。天明七年九月社殿再建、明治七年には赤堤村社と定められました。(「東京都神社庁」より引用) 

住所:東京都世田谷区赤堤2-25-2 

御朱印拝受時間:12:34 

初穂料:300円    書置き 

                    

寺-234-赤堤山善性寺  2022/1/10 

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由緒:善性寺は、勝国寺第九世住職日宥が良弁僧正作の不動尊像を得て、正徳5年(1715)当地に赤堤山善性寺と号して創建したといいます。新編武蔵風土記稿に記載はないものの、明和年間(1764-1771)焼失していたためと思われます。(「猫の足あと」より引用) 

住所:東京都世田谷区豪徳寺1-55-23  

御朱印拝受時間:11:22  

御朱印料:志300円    勝國寺にて 

                               

神社-447-世田谷八幡宮  2022/1/10

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由緒:寛治五年(1091年)後三年の役の帰途、源義家公がこの宮の坂の地で豪雨に会い天気回復を待つため、滞在することとなり今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の御加護に依るものと思い、豊前国宇佐八幡宮の御分霊をこの地に勧請しお祭りした。(「東京都神社庁」より引用) 

住所:東京都世田谷区宮坂1丁目23−20 

御朱印拝受時間:11:59 

初穂料:  300円  

                          

寺-233-大谿山豪徳寺  2022/1/10   

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由緒:曹洞宗寺院の豪徳寺は、大谿山と号します。世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建したと伝えられます。高輪泉岳寺初世の門奄宗関が中興開山、寛永10年(1633)世田谷領が彦根藩領となり、当寺が井伊家の江戸における菩提寺となったことから、寺号を藩主井伊直孝法号昌院殿豪徳天英大居士より豪徳寺と改号しました。井伊家墓所は国指定史跡となっている他、梵鐘・仏殿・仏像など数多くの文化財を所蔵しています。井伊直孝は飼い猫によって当寺へ招き入れたという招き猫の伝説があり、この飼い猫は松福庵(招福庵)に祀られ、数多くの参詣者があります。東京三十三観音霊場11番札所です。(「猫の足あと」より引用) 

住所:東京都世田谷区豪徳寺2-24-7 

御朱印拝受時間:11:40  

御朱印料:300円    書置 

                             

寺-232-青龍山勝國寺  2022/1/10 

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由緒:真言宗豊山派寺院の勝国寺は、青龍山と号します。勝国寺は、吉良政忠(法号勝国寺照岳道旭)が開基となり、世田谷城の裏手鬼門除けとして丸香山薬師院と号しと号し創建、吉良家滅亡後も江戸幕府より12石の朱印状を与えられた御朱印寺として栄え、末寺6ヶ寺を擁した小本寺だったといいます。玉川八十八ヶ所霊場の48番霊場です。(「猫の足あと」より引用) 

住所:東京都世田谷区世田谷4-27-4   

御朱印拝受時間:11:22  

御朱印料:志300円 

                                 

神社-446-松陰神社  2022/1/10

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由緒:明治維新の立役者である伊藤博文等数多くの逸材を育てた教育者、吉田松陰先生をお奉りする神社。安政の大獄により江戸で処刑された松陰先生を弟子達が長州藩下屋敷のあったこの地に埋葬した。明治十五年墓畔に社を築き魂の鎮座する所となる。(「東京都神社庁」より引用) 

住所:東京都世田谷区若林4丁目35-1 

御朱印拝受時間:10:36 

初穂料:500円    書置き