dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

西国三十三ヶ所-28-菩提山穴太寺 2020/12/29

f:id:dr100:20201231113700j:plain

f:id:dr100:20201231113705j:plain

f:id:dr100:20201231113709j:plain

f:id:dr100:20201231113714j:plain

f:id:dr100:20201231113719j:plain

f:id:dr100:20201231113723j:plain

f:id:dr100:20201231113727j:plain

f:id:dr100:20201231113731j:plain

f:id:dr100:20201231113736j:plain

f:id:dr100:20201231113741j:plain

f:id:dr100:20201231113747j:plain

f:id:dr100:20201231113752j:plain

f:id:dr100:20201231113755j:plain

f:id:dr100:20201231113759j:plain

大原野神社921→レンタカー17km→955穴太寺

由緒:慶雲二年(七〇五)の文武天皇の御世に大伴古磨によって創立されたと伝えられる丹波でも屈指の古刹です。 庭園は多宝塔の東部を借景にしており、江戸中期から末期にかけての手法をよく表現した名園のひとつです。夕陽の沈む西庭の景観もまたすばらしいものです。安寿と厨子王丸の悲話の伝説に語られる厨子王丸肌守御本尊をおまつりしています。 2人が山椒太夫に捕らえられ、過酷な責めを受けた時、その苦しみを代わりに受けてくださった仏様といわれています。 安寿が厨子王丸を逃がし都へ上る途中、厨子王丸をかくまった寺の一つが穴太寺だったといわれ、のちに、厨子王丸はこの肌守御本尊を穴太寺に奉納し供養したと伝えられています。(「西国三十三所巡礼の旅」より引用)

住所:京都府亀岡市曽我部町太東辻46

御朱印拝受時間:10:05

御朱印料:300円

穴太寺の駐車場は賽銭方式で300円でした。入場料は無料でした。