奈良の律令制の時代には、近畿を中心として各地に伸びる街道沿いに地方名がつけられていました。滋賀県から甲信内陸、北関東、東北に伸びる東山道(道)は広大な「地域の東山道」地方のハイウエイ(幅12メートル)でもありました。当初の「地域の東山道」には武蔵の国(現在の埼玉県〜都下)も含まれていましたが、北関東を縦断する「道の東山道」からはずいぶん南に外れており、群馬県付近から南下する道が作られました。それが東山道武蔵路です。官吏は律義に東山道〜東山道武蔵路を通って奈良の都から武蔵国に赴任しましたがあまりにも遠回りなので東海道経由に改められ、のちに武蔵国も東海道に属することになりました。