dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

歴史風土-56-佐渡金山の遺構 史跡-29-佐渡金山遺跡 2012.7.16 (新潟県佐渡市)


両津港11:15→佐渡バス→12:22佐渡金山13:20→佐渡バス→13:30相川13:55→佐渡バス→14:54両津港15:30→佐渡汽船・超高速船→16:35新潟港/佐渡汽船前16:45 →連絡バス→16:59新潟駅前/新潟17:17→Maxとき340号→19:14上野
佐渡両津港に着きました。やってきた佐渡金山行きのバスに乗ります。バスの「かぶりつき席」からみる日本海は、あくまでも青いです。佐渡金山は1601年に採掘がはじまり1989年(平成元年)まで388年間も採掘がおこなわれていました。佐渡金山に見学抗は、江戸時代に掘られた宗太遊抗と明治以降の道遊抗があり、入場券売り場の女性によると初めての人は宗太遊抗のほうがよいとのことで、そちらに入りました。坑内に入ると奈落の底に落ちるような坂道が続いています。マネキンの人形が妙に生々しいです。佐渡金山というと江戸の罪人が送られて強制労働をさせらているイメージが強いですが、金鉱採掘というのはそんな簡単なものではなく、作業の大半は熟練した坑夫が担当したそうです。坑内の環境も、夏は涼しく冬は暖かだったそうです。見学できるのは300メートルほどですが総延長は400キロメートルに達し、深いところでは海抜下に坑道を伸ばしたため大量の湧き水で開発がままならなくなっており、罪人の仕事はその水を地表に運ぶ水替人足の補充に充てられたとのことです。坑道を抜けると少し離れたところに佐渡金山資料館があり、12.5キロ(時価、約6000万円)の金の延べ棒をアクリル板に空いた腕一本通る穴越に、つかむことができます。ずっしりと重かったです。300メートルほど奥に歩くと「道遊の割戸」という奇景があります.。江戸時代から金堀職人が鑿で金鉱を露天掘りにしてついに山を真っ二つにしたものです。人間の欲の業を感じる景色でした。これで今回の訪問地は終了、帰宅します。帰りの高速船「すいせい」の右舷から見える弥彦山能登半島かと思うほどせり出していました。地図で見るとそんなに日本海に張り出しているようには見えないのですが。新潟港から新潟駅まで超満員のバス、新潟駅からMaxとき340号で帰宅しました。
旅行期間:2012/7/14-16 旅行地:北海道、青森県秋田県新潟県 交通費:49590円 入場料:1640円 宿泊費:8550円 合計:59780円