(写真1)
(地図)
(写真2) wikipedia「浜寺公園駅」より引用
北信太14:42→JR阪和線→14:46鳳14:50→阪和線東羽衣支線(877H)→14:53東羽衣(高石市)
阪和電気鉄道(JR阪和線の前身)VS南海鉄道・「浜寺海岸の抗争」という戦前の話があります。 両社は、大阪から人気行楽地・浜寺海岸間の輸送で激しい角逐を繰り広げました。鳳から分岐する阪和線東羽衣支線は、浜寺(東羽衣駅の開業時の名称は阪和浜寺駅)への行楽客輸送をも狙って建設された路線です。首都圏でいえば東京から江の島まで私鉄が2路線あって競争しているような感じだったのでしょうか。海水浴シーズンになると、阪和・南海両社とも難波・天王寺の各ターミナル駅から臨時列車を設定し、往復割引の乗車券も販売しました。南海の浜寺公園駅(写真2)を設計した辰野金吾は、東京駅や日本銀行本店を設計した建築家で、南海の力の入れようがわかります。そして浜寺海岸では、両社社員による熾烈な呼び込み合戦が繰り返され、ついにはお互いの社員による取っ組み合いの喧嘩沙汰にまで至ったといいます。また当時、阪和電気鉄道の阪和浜寺駅(現、東羽衣駅)から浜寺海岸へ行くには、南海本線羽衣駅近くの踏切を横断する必要がありましたが、これに対して南海ではわざと同駅を発車・通過する電車をノロノロ運転させ、踏切を「開かずの踏切」にさせるという、いささか陰湿な手段まで繰り出したともいわれています。私の降り立った東羽衣駅前は、「そんな昔話は『つわのもどもの夢のあとだよ』」とでも言いたげに、ひっそりとしていました。