東京14:03→ひかり475号15:06 静岡15:11→445M→15:23焼津
今回は、静岡〜名古屋〜高知まで足を伸ばします。ひかりは1号車3Eにらくらく座れました。最初の目的地が静岡県なので「のぞみ」ではだめなのです。静岡からはトイレなしロングの味気ない車両で焼津に運ばれます。焼津と言えば遠洋漁業の街ですが、1954年3月1日にアメリカ合衆国がビキニ環礁でおこなった水爆実験により、焼津から遠洋漁業にでた第五福竜丸が被爆してしまいます。日本に帰って船員たちは手厚い治療を受けますが、年配の久保山愛吉無線長だけは病状が悪化する一方で、被曝から半年後「原水爆の犠牲者は私で最後にしてほしい」という言葉を残して息を引き取りました。その後、原水爆では犠牲者は出ていませんが、1999年の東海村臨界事故で2名の方が亡くなっています。静岡と焼津の間には、列車のトンネルで通過すると何でもないのですが、「東海道の親不知」といわれる大崩海岸が立ちはだかっています。