dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

橋-36-長崎・眼鏡橋 全市/長崎市 都市景観-14-中島川・寺町地区  歴史風土-10-出島、中島川の石橋群、外国人居留地、深堀鍋島家の陣屋町 2009.5.4


諫早11:00→JR長崎線11:28長崎11:30→タクシー→長崎・眼鏡橋→同じタクシー(1300円)→11:45長崎駅
諫早駅は、思い出があります。中学生の頃、この駅の付近で補導されたことがあるからです。なぜ、東京近郊の中学生が諫早で補導されたのか?昭和50年は、博多まで山陽新幹線が開通した年でした。その年の冬、友人の鉄仲間と自分の二人で、東京駅発6:00ひかり21号博多行きで九州に旅鉄をしたのです。当時は東京-博多が7時間1分(小郡に止まらないタイプでも6時間56分)かかっていました。500系のぞみの最速タイプが一時、4時間49分で走っていましたから隔世の感があります。昼過ぎに博多につき、熊本、三角線、フェリー、島原外港から島原へと乗り継いで、諫早に夜、到着しました。諫早から深夜に出る夜行鈍行(当時は名前はなかったが、のちの「ながさき」)を待つ間、諫早駅の近くを中学生二人でぶらぶらしていたら、刑事さんに声をかけられそのまま警察署に連れて行かれました。実家との連絡が取れ、無罪放免となりましたが、いまでもこの駅を使うと思い出します。あの時に連れて行かれた警察署は、今でもあるのでしょうか。地図上で探すと、ここだと思われる川べりの橋のたもとの場所は、公園になっているのですが。歳のばれる話をしてしまいましたね。長崎からは路面電車も使えるのですが、時間の都合でタクシーを使用しました。運転手さんは、橋名板はないと言っていましたが、少し読みにくいですがちゃんと親柱に橋名が彫ってありました。