dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

神社-178-市谷亀岡八幡宮 2020/11/15

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由緒:社号が「八幡宮」ですので、武運の神である八幡神をご祭神とする八幡系の神社になります。総本社は大分県宇佐市にある宇佐神宮です。ご祭神は、誉田別命(ほむたわけのみこと)、気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、与登比売神(よとひめのかみ)の三神です。誉田別命応神天皇と同一であり、八幡神とも同一とされています。気長足姫尊は応神天皇の母である神功皇后と同一です。与登比売神卑弥呼ではないかと言う説もある女神です。創建は戦国時代である文明11年、太田道灌と言う武将により、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請し、祀ったのが始まりとされています。江戸城を築城する際に、西方の守護神として祀られました。鶴岡八幡宮の「鶴」に対して「亀」が付けられ、亀岡八幡宮と称されました。創建当時は現在の千代田区にありましたが、江戸時代になり、江戸城の外堀が出来たのを機に、現在の茶ノ木稲荷神社の敷地内に移転されました。江戸時代には「市谷八幡宮」と称されていました。三代将軍徳川家光などの信仰を得て、再興されたと伝えられています。(「神社と御朱印を巡る男の旅 」より引用)

住所:東京都新宿区市谷八幡町15

御朱印拝受時間:13:01

初穂料:300円 書置き