dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

西国三十三ヶ所-15-興福寺南円堂  2020/9/21

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丹生川上神社上社1421→レンタカー33km→1513GS1517→レンタカー2km→1525トヨタレンタカー大和八木駅前店/大和八木1545→近鉄橿原線急行→1606大和西大寺1616→ 近鉄奈良線急行→1621近鉄奈良→徒歩→興福寺南円堂

由緒:西国巡礼者だけでなく、日々人々のお参りで賑わう。弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父 内麻呂(うちまろ)追善の為に建てた。基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が係わったことが諸書に記される。不空羂索観音菩薩像を本尊とし法相六祖像、四天王像が安置されている。興福寺藤原氏の氏寺であったが、藤原氏の中でも摂関家北家の力が強くなり、北家繁栄の礎となった南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めた。その不空羂索観音菩薩像が身にまとう鹿皮は、藤原氏氏神春日社との関係で特に藤原氏の信仰を集めた。創建以来四度目の建物で、寛保元年(1789)に再建された。江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古様で、再建には北円堂を参考にしたのであろう。日本で最大の八角堂 毎年10月17日に特別開扉。(「西国三十三所巡礼の旅」より引用)

住所:奈良県奈良市登大路町48

御朱印拝受時間:17:38

御朱印料:300円

丹生川上神社上社を辞して大和八木市内のガソリンスタンドへ。168kmの走行で9.05リットル入ったので燃費は18.6km/Lでした。@121円だったので1095円の支払いでした。170kmの走行でトヨタレンタカー大和八木駅前店に無事返却。近鉄を乗り継いで奈良へ。近鉄奈良駅から近い興福寺南円堂へ。御朱印は長蛇の列でした。西国三十三ヶ所以外の御朱印は16:45まででした。西国三十三ヶ所の御朱印は、17:00までならOKですが、それ以降何時までOKなのか、よくわかりませんでした。