六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園です。「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来し、自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、その設計は柳沢本人によるものと伝えられています。明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入し、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施されました。その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、1938年(昭和13年)には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになりました。岩崎弥太郎は、明治時代に都心の土地を積極的に購入していたのですね。下の写真は私が撮影したのですが、素人の撮影でもそれなりに「さま」になっているのは被写体が良いのでしょう。しばらく東京近辺が続きましたが、明日のupから「旅」が始まります。