dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

大阪狭山市/大阪府(金剛) 2011/3/21

写真1
写真2 wikipedia「狭山池」より引用
写真3 wikipedia金剛組」より引用
富田林12:47→近鉄長野線準急→12:58河内長野13:01→南海高野線→13:08金剛(大阪狭山市)
1987年(昭和62年)10月1日、市制が施行されて狭山市となりましたが、埼玉県狭山市が先に名称を使用していたため、総務省から同じ市の名前を避けるようにとの通達が存在したので、即日大阪狭山市となりました。即日、市の名前を変えるぐらいなら最初から大阪狭山市にしとけばよいと思いますが、素人にはわからない事情があるのでしょう。現在ではその通達の拘束力がゆるくなったのか、伊達市が北海道と福島県にあります。 金剛駅からバスですぐの狭山池は、7世紀前半に築造された日本最古のダム式ため池で、古事記』・『日本書紀』にもその名が記されています(写真2)。金剛と言って思い出すのは世界最古の会社「金剛組」です。寺社仏閣建築の設計・施工、城郭や文化財建造物の復元や修理等など、旧来からの伝統的な建築を得意とする会社(写真3)で、創業は何と西暦578年。現存する世界最古の木造建物法隆寺もこの会社によって建てられました。鹿島建設清水建設も江戸時代の創業ですが、金剛組の創業1400年とは桁が違います。社歴の折り返し地点の創業700年(1278年)が鎌倉時代後期、創業1000年(1578年)が戦国時代という凄まじさです。法隆寺の様な木造の建物は外国なら千数百年のうちにどこかで破壊されている思われますが、日本人の心の底には「神聖なものは戦火の中でも少なくても自分の代では手をつけないでおこう」(織田信長の様な例外もいましたが)という気持ちがあるらしく、外国に比べ残されている木造の社寺仏閣が多いとのことです。その時々の最高権力者がどんなに権力を握っても形式上は天皇家を上位とし、天皇家だけは今に至るまで連綿と続いているのも同じ理由かもしれません。