dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

流山市(利根運河交流館) 2010.3.6(SAT)



 先日、江戸時代は銚子から日本橋までの物資の輸送に利根川を布佐までさかのぼって陸路で松戸、そこから江戸川を水路で日本橋という話をupしました。しかし地図を見ると、わざわざ二回も荷物の積み替えをしなくても利根川と江戸川との合流地点の関宿経由でいけそうな気がしますが、途中に浅瀬があって物資を運ぶような大きな船は通過することができなかったのだそうです。明治になり、これでは不便ということで野田〜流山付近で利根川と江戸川をショートカットする運河が掘削され、荷物の積み替えなしで銚子〜日本橋が結ばれました。なぜ銚子と東京(江戸)間の交通が重要視されていたかというと銚子の地理的位置付けは、関東の東のどん詰まりというより、東北各地から物資を積んで南下してきた船の関東の玄関口だったからです。この運河経由で東京〜銚子を18時間で結ぶ客船も運行されていたようです。現在もあったら是非乗りたいところです。今はもう運河としては使われていませんが、東武野田線の「運河」という駅名にその名残を残しています。