2009年4月に日本百名橋の碓井第3橋梁(通称めがね橋、横川〜軽井沢間)を訪問した時、国道の脇から草むらへ消えてゆく細道は、なんと中山道でした。中山道と言えば、江戸五街道のひとつです。つまり、この1メートルにも満たない道を使って、大名行列が、旅人が、物資が碓氷峠を越えていったことになります。現代に置き換えれば、この細道が長野新幹線と国道18号線と上信越自動車道を全部足した役割をしていたことになります。江戸時代と現代では、交通量がキロバイトとギガバイトぐらいの差があるんだと納得されられる、「中山道」の表示さえなければただの登山道にしか見えない小道でした。