由緒:源頼義奥州遠征土岐、家臣の「猿藤太」(さるのとうた)という武将が此の地の入江で力尽きたのを地元の漁師達が手厚く葬り、境内に塚を建た。この縁起により「猿江」の社名となる。康平年中(1058年)頃には、稲荷社として境内地300余坪を有していた。…
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