日出の石門1151→貸切バス→1157伊良湖シーパーク&スパ
バスで伊良湖シーパーク&スパへ。眺めの良いホテルでした。チェックアウトとチェックインのはざまの時間で、あまり人はいませんでした。和食懐石は鮑のバター焼きもあり、美味しかったです。
豊橋(駅)1007→豊橋観光バス(豊橋230あ・・72)→1124日出の石門
日出の石門:かつて海底に堆積して出来たチャートと呼ばれる岩でできており、それがその後の地殻変動などによって海面上に姿を現し、さらに海の波による浸食によって洞窟ができて現在の形になったと考えられている。 洞窟は岩を貫通しており門のようになっていることから「石門」の名がある。島には門が2つあってそれぞれ「沖の石門」「岸の石門」と命名されている。 (ウイキペディアより引用)
豊橋からはフルサイズの貸切バスに乗ります。50人乗りの観光バスに6人なのですから、豪華なものです。伊良湖岬の少し手前にある日出の石門の駐車場から300mほど歩いて日出の石門(岸の石門)へ。うだるような暑さでした。
白山神社(はくさんじんじゃ)は、東京都文京区にある神社である。旧称白山権現社。この一帯の「白山」という地名の由来である。 天暦2年(948年)、加賀国の白山比咩神社から勧請を受けて、武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷1丁目)に創建された。元和年間(1615年-1624年)に将軍徳川秀忠の命で巣鴨原(現 小石川植物園内)に移ったが、明暦元年(1655年)、その地に館林藩主徳川綱吉(後の5代将軍)の屋敷が作られることになったため、現在地に遷座した。その縁で綱吉とその母桂昌院の崇敬を受け、以降、徳川将軍家から信仰された。明治初期には准勅祭社に指定された。 (ウイキペディアより引用)
都営地下鉄の白山駅のすぐ近くです。正午から午後1時までの1時間は、昼休憩でした。12:59、300円のお納めで御朱印をいただきました。
ここで、准勅祭社十二社が完拝となりました。
参拝順 神社 所在地 参拝日 下書きの有無 up日
1 神田神社 東京都千代田区 2017/10/1 有 2019/2/16
2 王子神社 東京都北区 2017/11/26 有 2020/7/10
3 日枝神社 東京都千代田区 2018/1/21 有 2019/3/23
4 大国魂神社 東京都府中市 2018/8/19 有 2019/9/25
5 芝大神宮 東京都港区 2018/9/1 有 2020/7/11
6 鷲宮神社 埼玉県久喜市 2019/8/24 有 2020/7/12
7 亀戸天満宮 東京都江東区 2019/8/25 有 2020/7/13
8 富岡八幡宮 東京都江東区 2019/8/25 有 2020/7/14
9 赤坂・氷川神社 東京都港区 2019/8/25 有 2020/7/15
10 根津神社 東京都文京区 2019/8/25 有 2020/7/16
11 品川神社 東京都品川区 2019/9/1 有 2020/7/17
12 白山神社(文京区) 東京都文京区 2019/9/1 有 2020/7/18
品川神社(しながわじんじゃ)は、東京都品川区北品川三丁目にある神社。元准勅祭社として東京十社のひとつでもある。 また東海七福神の一社として、大黒天を祀る。 文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請して祀り、品川大明神と称したのに始まる。 鎌倉時代末期の元応元年(1319年)に北条高時の臣、二階堂道蘊が「宇賀之売命(稲荷神)」を、さらに室町時代中期の文明十年(1478年)に太田道灌が「素戔嗚尊(天王神)」をそれぞれ祀った。 慶長五年(1600年)、徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣の祭に品川神社を参拝して戦勝祈願し、その後、祈願成就の御礼として仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿)などを奉納し、天正19年(1591年)には徳川家康から5石の社領の朱印を受け、徳川家の尊崇する特別な神社として社紋も徳川家の家紋の「丸に三つ葉葵」と定め、「御修復所(神社の建物の再建・修復などは全て江戸幕府が賄う)」として徳川家の厚い庇護を受けた。 寛永14年(1637年)に三代将軍徳川家光が東海寺を建立した際には、境内の一部がその敷地となったため代替地を賜わり、神社の位置が東海寺の鬼門に当たることから、同社の鎮守とした。 1868年(明治元年)11月8日、明治天皇が品川神社を准勅祭社と定め、東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社の一つとした。 明治5年(1872年)、郷社に列した。また昭和50年(1975年)には、東京十社に列している。(ウイキペディアより引用)
品川駅から京急で二つ目、新馬場駅と第1京浜を挟んで目の前に鎮座しています。急な階段を上って参拝。8:58、300円のお納めで、御朱印をいただきました。