dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

歴史風土-60-風水害に備えた石垣集落外泊 (愛媛県/愛南町)








城辺営業所12:20→宇和島バス→12:45船越入口/船越12:45→宇和島バス→12:59外泊(石垣集落外泊)
城辺営業所からバスに乗り、船越で乗り換えの予定でしたが何故か船越入口で乗り換えるように指示され、言われるままに歩くと船越バス停がありました。すぐに来たバスはマイクロでした。だんだんバスが小さくなります。最初のバスの下車時に整理券にハンコを押してもらい、城辺〜船越〜外泊は通算計算にするシステムです。今日は宿毛に抜けるルートをたどるのですが、今回の旅程を立てるのに一番苦労をしたのがこの付近です。大体、へき地のバスというのはへき地の人が街に出て程よい時間を過ごした後にへき地に戻るのに都合のよいダイヤになっている場合が多いので、その逆は程よい便の組み合わせが難しいのです。今回も、宇和島から外泊を経由して宿毛に抜けようとすると、今回の旅程一択しかない状況でした。外泊は台風に備えて石垣を築いた独特の集落景観を形成しています。幕末に外泊地区の東側に隣接する中泊地区の人口が増加し、地区の主導者が各家の二男以下に分家移住を提案しました。これに応募した人々により移住がなされ、地名を「外泊」と名付けました。全戸の入居が完了したのは明治12年頃でした。屋敷地の造成や石垣の積み上げは全て入居者の手で行われ、家に残った奥さんが夫の帰りをいち早くみるために、「遠見の窓」も作られました。公共機関を使って行こうとすればとにかく遠いところで、むしろ沖縄や北海道のほうが近くに感じるほどでした。