dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

竹生島へ  2020/11/22

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 名古屋610→JR東海道本線3303F→649大垣652→JR東海道本線3207F→728米原747→JR北陸本線4700M→757長浜→徒歩(5分)→長浜港900→琵琶湖汽船びわ湖横断航路→ 930竹生島

本日最初の目的地は琵琶湖に浮かぶ竹生島にある西国三十三ヶ所第三十番札所、巌金山宝厳寺です。名古屋から東海道線を乗り継いで米原へ。米原から北陸本線で長浜へ。長浜から5分ほど歩いて琵琶湖汽船の長浜港へ。3連休なので大混雑でした。dr100は事前に予約していたので9時発に乗れましたが、予約なしで来た人はあとの便に回されていました。長浜~竹生島~今津の琵琶湖横断料金は2880円ですがJAFの会員カードの提示で2600円になりました。竹生島行きの船は長蛇の列。みんな御朱印の話をしています。島では30分しかないので時間が気になります。すぐに降りれるように出口に一番近い席に座り、島に到着したら先頭を切って下船しました。

 

旅立ち  2020/11/21

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東京駅(鍛冶橋駐車場)→2340 ジャムジャムエクスプレスJX41→523(定530) 名古屋南笹島ライブ→徒歩→名古屋駅

勤労感謝の祝日を利用した夜行一泊現地一泊で、西国三十三ヶ所のうち五か所の寺院を巡ります。今宵のやどは名古屋行き夜行バスジャムジャムエクスプレスJX41名古屋行き。出発場所の鍛冶橋駐車場は撮影禁止です。新型コロナウイルスの影響で、待合室を使うのも乗車時間まで20分を切ってからです。アサインされた座席は6C。トイレの後ろで足元は狭く、ハズレ席でした。三列でコンセントありでした。乗車率は60パーセントぐらいでした。足柄SA0056-0116、浜松SA0251-0400の下車休憩。定刻7分前に終点の名古屋南笹島ライブへ到着。真っ暗な道を十数分歩いて名古屋駅へ到着しました。

 

 

神社-179-茶ノ木稲荷神社 2020/11/15

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 由緒:市谷八幡神社の境内、石段左の方中段に御鎮座しております茶木稲荷神社。今をさる一千年余りの昔、弘法大師が初めて御鎭祭申上げたのが当社と伝えられています。この山の地主の神でありまして古来この地を稲荷山【いなりやま】と呼んだのも、そのいわれによるものです。御祭神は保食神【うけもちのかみ】、すなわち稲荷大神です。この大神は、食物衣服のことを司るのが主なる御神徳ですが、その他、家内屋敷の安全を始め、農業、工業、商業の繁昌、諸技藝の上達、交通旅行の安全等を護り、幅広いご利益を持っています。(「市谷八幡神社HP」より引用)

住所:東京都新宿区市谷八幡町15

御朱印拝受時間:13:01 市谷亀岡八幡宮にて

初穂料:300円 書置き

 

神社-178-市谷亀岡八幡宮 2020/11/15

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由緒:社号が「八幡宮」ですので、武運の神である八幡神をご祭神とする八幡系の神社になります。総本社は大分県宇佐市にある宇佐神宮です。ご祭神は、誉田別命(ほむたわけのみこと)、気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、与登比売神(よとひめのかみ)の三神です。誉田別命応神天皇と同一であり、八幡神とも同一とされています。気長足姫尊は応神天皇の母である神功皇后と同一です。与登比売神卑弥呼ではないかと言う説もある女神です。創建は戦国時代である文明11年、太田道灌と言う武将により、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請し、祀ったのが始まりとされています。江戸城を築城する際に、西方の守護神として祀られました。鶴岡八幡宮の「鶴」に対して「亀」が付けられ、亀岡八幡宮と称されました。創建当時は現在の千代田区にありましたが、江戸時代になり、江戸城の外堀が出来たのを機に、現在の茶ノ木稲荷神社の敷地内に移転されました。江戸時代には「市谷八幡宮」と称されていました。三代将軍徳川家光などの信仰を得て、再興されたと伝えられています。(「神社と御朱印を巡る男の旅 」より引用)

住所:東京都新宿区市谷八幡町15

御朱印拝受時間:13:01

初穂料:300円 書置き

神社-177-気象神社 2020/11/15

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由緒:気象神社は、1944年(昭和19年)4月、大日本帝国陸軍の陸軍気象部(杉並区馬橋地区)の構内に造営されました。軍にとって気象条件は戦略、作戦を講じるのに大事な要素であったため、科学的根拠に基づいた予報がされていましたが、予報的中を祈願するなど、気象観測員の心のよりどころとされていたそうです。その後、戦後の神道指令で撤去されるはずの気象神社でしたが、調査漏れにより残存。先々代宮司の山本実が受入を決断して、高円寺氷川神社遷座されることになりました。(高円寺氷川神社HPより引用)

住所:東京都杉並区高円寺南4-44-19

御朱印拝受時間:8:48 高円寺氷川神社にて

初穂料:500円 書置き

神社-176-高円寺氷川神社 2020/11/15

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由緒:江戸名所絵図によれば、その昔、源頼朝による奥州征伐時に、武藏国杉並の地に至り給り際、隋兵の中に高円寺村にとどまり、終に農民となる者あり。一説によれば、村田兵部稟云々ともいわれ(因みに村田姓は高円寺の旧家なり)、その時、武蔵国大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏に伝え、この高円寺村の位置高く採松杉繁多し遠く木田を望みて風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれている。従って農業の神とされている。(高円寺氷川神社HPより引用)

住所:東京都杉並区高円寺南4-44-19

御朱印拝受時間:8:48

初穂料:500円 書置き