dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

帰京  2018/7/8

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 中津城1419→レンタカー→宝来軒→レンタカー65km→1558GS1602→レンタカー2km→1606くにさきレンタカー大分空港店1609→送迎車→1611大分空港2020→GK608→2200成田空港 

あとは帰るだけです。宝来軒でラーメン500円。美味しかったです。ガソリンスタンドへ。341kmの走行で15.11L入ったので、22.6km/Lの燃費でした。@153円なので、2312円の支払いでした。1602、343kmの走行でくにさきレンタカー大分空港店に無事返却。送迎車で大分空港へ。GK608は、大分空港離陸2032、成田空港着陸2159と、正味1時間27分のフライトでした。

旅行期間:2018/7/7-8 旅行地:大分 交通費:21361円 宿泊費:4520円 入場料:300円 合計:26181円

続百名城-30-中津城  2018/7/8

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角牟礼城1256→レンタカー46km→1400中津城

中津城(なかつじょう)/中津川城(なかつがわ(の)じょう)は、豊前国中津(現在の大分県中津市二ノ丁)にあった日本の城。黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。県指定史跡。江戸時代の大半は、奥平氏が居城としていた(中津藩も参照)。 周防灘(豊前海)に臨む中津川(山国川の派川)河口の地に築城された梯郭式の平城である。堀には海水が引き込まれているため、水城(海城)ともされ、今治城高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられる。(ウイキペディアより引用)

角牟礼城から中津城へ。手作りの続百名城の看板がよくできています。ここに来るたびに思うのですが、石垣の上にのったお城の「座り」がすこしお堀にはみ出して、「半ケツ状態」です。入場料(200円)を払って入ってすぐのところにスタンプがあったのですが、2年前に来て入場したことを伝えると、スタンプだけなら無料でよいとのことでした。 

続百名城-29-角牟礼城  2018/7/8

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臼杵城1012→レンタカー89km→1224豊後森藩資料1245→レンタカー3km→1252角牟礼城

角牟礼城(つのむれじょう)は、大分県玖珠郡玖珠町の角埋山(つのむれやま)にあった山城。弘安年間(1278年 - 1288年)に森朝通により築かれたとされる。国の史跡。 玖珠盆地は平安時代から玖珠郡衆によって支配されていたが、角牟礼城は、弘安年間(1278年 - 1288年)に玖珠郡衆の森朝通により豊後国から豊前国に抜ける交通の要衝に位置し、天然の要害である角埋山(576メートル)に築かれたと伝えられる。ただし、史料においてその存在が確認できるのは、文明7年(1475年)が最初である。(ウイキペディアより引用) 

角牟礼城のスタンプのある豊後森藩資料館へ。入場料100円のところ、スタンプの人は無料です。係員の話では、続百名城の参加者は2万人ぐらいおり、月間300人は豊後森藩資料館へスタンプの人が来るとのことです。3kmほど移動して角牟礼城へ。草生した低い土塁のような石垣が印象的でした。

  

 

続百名城-28-臼杵城   2018/7/8

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佐伯城914→レンタカー31km→958臼杵城

 臼杵城(うすきじょう)は、大分県臼杵市にあった日本の城。城跡は大分県の史跡に指定されている。戦国時代、大友宗麟により臼杵城の前身となる「丹生島城」が築かれ、大友氏の拠点となった。江戸時代には臼杵藩の藩庁が置かれた。丹生島は北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害をなしていた。ちなみに丹生島の「丹生」とは「金属鉱石の産出する島」という意味である。義鎮は、この島一つを城郭化して干潟を干拓して城下を形成した。 (ウイキペディアより引用)

雨が強く降り出しました。臼杵市観光交流プラザでスタンプをいただきました。臼杵城は平野にポツンと小山があるようで、「砦」といった感じでした。

 

 

続百名城-27-佐伯城  2018/7/8

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 グッドイン大分 618→レンタカー51km→732佐伯城(佐伯市歴史資料館)

佐伯城(さいきじょう)は、大分県佐伯市にあった日本の城である。江戸時代には佐伯藩の藩庁が置かれた。「さえき」と読むのは誤り。 大分百景、 続日本100名城(194番)に選定されている。(ウイキペディアより引用) 

一夜明けて7/8。九州地方は記録的な大雨の予報です。最近、週末と大雨の周期がシンクロしている感じがします。レンタカーで佐伯市歴史資料館の駐車場へ。佐伯城に登る道は、荒天であきらめました。資料館でスタンプをいただきました。入場料は300円でした。

 

旅立ち  2018/7/7

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 成田空港1735→GK607→1925大分空港1944→送迎車→1946くにさきレンタカー大分空港店1959→レンタカー56km→2152 グッドイン大分(泊)4520円

GK607は時速784km/hで西に飛びました。成田空港離陸1756、大分空港着陸1923と、1時間27分のフライトでした。大分空港は羽田空港から直線距離で九州の空港では一番近い空港なのです。大分は雨でした。送迎車でレンタカー店へ。大分580わ2589、車種はワゴンRでした。レンタカーでホテルへ。グッドイン大分1520号室へチェックイン。きれいな部屋でした。

 

 

 

続百名城-26-小机城 2018/7/1

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 小机城(こづくえじょう)は、武蔵国橘樹郡小机郷(現在の神奈川県横浜市港北区小机町)にあった日本の城(平山城)。現在は小机城址市民の森として、城の遺構が整備されている。小机城は、永享の乱(1438年 – 1439年)の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされるが、正確な築城年代は分かっていない。

横浜線小机駅から20分ほど歩いて小机城へ。アジサイの斜面を登って山上の城跡地へ。野球の練習場になっていました。駅近くに戻り、横浜市城郷小机地区センターでスタンプをいただきました。