宇和島バスセンター→徒歩→宇和島717 →予土線4812D→752近永754→タクシー(1690円→河後森城→徒歩→松野町立芝不器男記念館→徒歩→松丸
河後森城(かごもりじょう)は、愛媛県北宇和郡松野町松丸に存在した日本の城(山城)。国の史跡。川原淵殿と呼ばれた渡辺氏が代々の居城としており、天文後期から天正年間にかけて機能した。天正8年(1580年)から翌年の間に、城主・渡辺教忠の近習だった芝源三郎が謀略により当城を奪っている。天正11年(1583年)の四国の役の後、戸田勝隆により芝源三郎は放逐された。その後、当地を治めた藤堂高虎は当城の天守を移築して板島城の月見櫓にしたという。慶長19年(1614年)に伊達秀宗が宇和島藩を創立した際、付家老の桑折氏が当城に入っている。その後、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城になったとされる。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(179番)に選定された。(ウイキペディアより引用)
宇和島バスセンター から徒歩で宇和島駅へ。頭端駅です。予土線4812Dは、片側34人掛けの超ロングシートでした。近永駅の目の前に客待ちのタクシーが止まっていました。車止めから「登山」をして、河後森城のスタンプのある東屋へ。「下山」して松丸駅へ歩く途中、永昌寺登山口に石碑がありました。松野町立芝不器男記念館200円に寄りました。松丸駅の前には、足湯がありました。