dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

続百名城-40-杉山城  2018/8/5

f:id:dr100:20190314074041j:plain

f:id:dr100:20190314074045j:plain

f:id:dr100:20190314074048j:plain

f:id:dr100:20190314074051j:plain

f:id:dr100:20190314074057j:plain

f:id:dr100:20190314074100j:plain

f:id:dr100:20190314074104j:plain

f:id:dr100:20190314074108j:plain

f:id:dr100:20190314074112j:plain

f:id:dr100:20190314074116j:plain

岩櫃城1020→マイカー94km→1251杉山城1300→マイカー2km→1304嵐山町役場

杉山城(すぎやまじょう)は、埼玉県比企郡嵐山町にあった日本の城。別名は初雁城。市野川左岸の山の上に築かれた山城である。築城主は不明。地元豪族の金子主水の築城によるとの伝承はあるが、文献資料にはあらわれない。従来、縄張りが極めて緻密で巧妙なため、後北条氏の時代に造築されたものではないかとの見方が有力であったが、発掘調査にもとづく考古学的な知見からは山内上杉氏時代の城である可能性が非常に強くなってきた。この縄張りを主とする城郭史的観点と考古学的観点の見解の相違を「杉山城問題」と呼んでいたが、後に発掘調査を裏付ける文書の提示により文献史学的観点を含めた見解の相違へと深化している。2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(119番)に選定された。(ウイキペディアより引用)

岩櫃城から杉山城へ。手前に数台置ける駐車場が。城跡は斜面の原っぱのようなところでした。2kmほど離れた嵐山町役場でスタンプをいただきました。同好の士がいました。