dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

一の宮-74-上一宮大粟神社   2018/1/7

f:id:dr100:20190208094105j:plain

f:id:dr100:20190208094113j:plain

f:id:dr100:20190208094118j:plain

f:id:dr100:20190208094124j:plain

f:id:dr100:20190208094130j:plain

f:id:dr100:20190208094134j:plain

f:id:dr100:20190208094140j:plain

f:id:dr100:20190208094145j:plain

f:id:dr100:20190208094149j:plain

f:id:dr100:20190208094155j:plain

 

f:id:dr100:20190208094215j:plain

f:id:dr100:20190208094234j:plain

f:id:dr100:20190208094245j:plain

八倉比売神社937→レンタカー17km→1001上一宮大粟神社01029→レンタカー11km→1102妙法寺

上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)は、徳島県名西郡神山町にある神社。式内大社・阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ[1]。旧社格は郷社。新四国曼荼羅霊場第七十三番札所。『延喜式神名帳』に記載される式内大社「阿波国名方郡 天石門別八倉比賣神社」の論社の一つである。天石門別八倉比賣神社は神亀5年(728年)に聖武天皇の勅願所となり、元暦2年(1185年)には正一位の神階を授けられた。平安時代には、現在の徳島市一宮町に当社の分祠として一宮神社が創建された。 明治3年(1870年)、社名を「埴生女屋神社」と改められたが、氏子の請願により、明治28年(1895年)に現在の上一宮大粟神社となった。 (ウイキペディアより引用)

次の目的地は上一宮大粟神社ですが、事前の「予習」では、御朱印がもらえるかは判然としませんでした。現地に行くと、神社は立派で人はたくさんいるのですが「スタッフ」は全くおらず、書置きもありませんでした。宮司様の自宅もわからず、ここで御朱印をもらうのは不可能でした。後日の調査では、正月の3が日はもらえるそうです。バックアップとして考えていた妙法寺に向かいます。隠れ里のような村落にありました。仏教のお寺ですが、ここで、上一宮大粟神社御朱印を11:23、300円のお納めでいただきました。