wikipedia「霞堤」より引用
県立考古博物館17:23→山梨交通75系統→17:55甲府駅前バスターミナル/甲府 18:05→中央本線445M→18:09竜王→タクシー→信玄堤公園
バスは身延線の渋滞に巻き込まれながらなんとか甲府駅に戻り、乗り継ぎを懸念していた中央線の列車に乗れました。竜王駅からは歩ける距離でないのでタクシーです。「信玄堤公園」の看板はなかったので、「信玄堤」の看板で写真としました。川面は真っ暗で、対岸の明かりと山影がかろうじて見えるだけでした。ところで、武田信玄の活躍した西暦1500年代に釜無川のような暴れ川を制御する治水土木技術なんて存在したのでしょうか。当時唯一可能だった土木技術が「霞堤」というもので、川の両側に堤防の少し低いところを作って氾濫時はそこから水があふれて遊水地に導水させるもので、上流からの水の中には養分がたくさん含まれた土が混じっているので農業に役立ち一石二鳥だったというlことです。洪水後はあふれた水が元の川に戻るそうですが、どのくらいの傾斜を付ければ都合よく水が戻ってくれたのでしょうか?