2011/3/11におきた東日本大震災および福島第一原発事故により9年間不通となっていた常磐線の最期の不通区間、富岡~浪江が2020/3/14、開通しました。この区間は津波の影響というよりも、近接する原発の放射線量の影響で開通が遅れたものです。今回、駅としても9年ぶりに復活した夜ノ森、大野、双葉の三駅を訪問し、放射線量を計測しようと考えました。測定装置は9年前に購入したものです。私は環境調査のプロフェッショナルではなく、所持している測定装置も簡易的なものなので、測定値は参考程度にしていただきたいと思います。
震災前の国の放射線量の基準は1mSV/年以下、つまり約0.11μSv/1時間以下でした。しかし、震災後に基準が引き上げられ0.23μSv/1時間以下、つまり1mSV/年以下2.01mSV/年以下になっています。今回の再開通は除染作業により常磐線の線路と駅付近の放射線量が国の基準の0.23μSv/1時間になったことを受けたものです。文を読み進むに際して、0.23μSv/1時間が国の基準の上限であることに留意してください。なお、本文中の単位は測定装置の表示に合わせてすべてμSv/1時間で統一し、単位は省略しています。
↑出発前、我孫子駅前で計測すると、0.10でした。
↑トップバッターは12時27分発常磐線水戸行きです。乗車券の経由欄が常磐線全通を物語っています。
我孫子12:17→367M→13:58水戸
↑龍ケ崎市駅は、2020/3/14まで佐貫駅という駅名でした。
↑赤塚駅手前でスマホのスピードメーターで時速131キロを計測しました。首都圏のJR在来線最速です。
↑水戸駅で乗り換え。ホーム上の計測で、0.07でした。
↑上野駅から水戸駅までノンストップでやってきた、ひたち13号に乗車。
水戸14:07→ひたち13号→15:47富岡
↑車内のテロップで「仙台」の文字を見ると、感慨もひとしおです。
↑一週間前までの「常磐南線」の終着駅、富岡に到着。
↑富岡駅の改札口にある計測値の表示は0.066でした。私の計測装置の表示は0.07でしたので、ある程度の相関性は担保しているものと考えました。
↑富岡駅の様子です。売店が通常通り営業していました。後から考えると、鉄道での訪問者にとって、ここが買い物ができる「北限」でした。
↑富岡駅の待合室には「2020.3.24 常磐線全線運転再開」のポスターが誇らしげに掲示してありました。
富岡15:59→679M→16:05夜ノ森
↑子供は、ほとんどいない印象でした。
↑一駅だけ移動し、夜ノ森駅へ到着。築百年の駅舎を取り壊して、橋上駅へ生まれ変わりました。
↑夜ノ森駅の改札口付近は0.21でした。0.23の基準上限ギリギリです。
↑夜ノ森駅東口。他府県ナンバーの自動車が何台かとまっていました。
↑東口ロータリーから住居のある路地に入ろうとしても、ことごとく「帰還困難区域につき通行止め」のバリケードに行く手を阻まれます。
↑「ゲームセンター理想郷」の看板が、虚しく色褪せています。
↑東口から50メートル東進した付近で基準値を超える0.31でした。
↑9年間閉まったままのコンビニの入り口は破壊されていました。
↑自動販売機でジュース一本買えません。立ち入ることのできる場所、つまり除染済みで0.23以下の場所が駅と道路だけなので、人々の生活の営みようがないのです。まさに、ゴーストタウンです。
↑一駅移動して大野駅へ。この駅が直線距離で福島第一原発に最も近い駅です。
夜ノ森17:39→683M→17:44大野
↑大野駅東口。
↑東口駅前ロータリーに面して、児童公園がありました。誰も遊ばなくなってから、9年の歳月がたちました。
↑駅前ロータリーから東へ進む道が帰還困難地域のため、閉鎖されています。
↑大野駅東口ロータリーの線量が0.49と、今回最大でした。基準値上限0.23の、2倍以上です。
↑大野駅ホームの横断幕。
↑大野駅から双葉駅へ移動です。
大野18:38→685M→18:44双葉
↑真新しいピカピカの駅名表です。
↑双葉駅西口。誰もいません。
↑双葉駅前の線量は0.14と、落ち着いてきました。
↑特急で仙台へ向かいます。
双葉19:02→ひたち19号→20:28仙台
↑Sendaiと書かれた行き先表示を見ると、感慨深いものがあります。
↑ひたち19号の車内はガラガラでした。
↑定刻に終点仙台に到着。品川から4時間43分のロングランでした。
↑ついに、常磐線を北上して仙台にやってきました。
↑今晩は、仙台から富山行きの夜行バス、百万石正宗号に乗車します。少し時間があるので、牛タンを食べることにします。
↑これは2011年6月26日、福島駅で測定した線量です。0.53μSv/hrです!
↑これは、2011年6月26日、東北本線本宮駅(郡山の少し北)で測定した線量です。1.32μSv/hr!
おわりに。東日本大震災と福島第一発電所原発事故から約3か月の福島県は、原発から直線距離で約64キロの福島駅や、約56キロの本宮駅でも非常に高い線量だったのだと、あらためて気づきました。原発から大野駅や夜ノ森駅までの直線距離は約5キロですから、時間の経過もあるのでしょうが、頑張って大野駅や夜ノ森駅付近を除染したのだということがわかりました。それにしても今から9年前、福島県では非常に線量の高い中(現在の基準線量の上限の福島駅で2.3倍、本宮駅で5.7倍)、何十万人もの人々が生活を営んでいたのです。