dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

坂東三十三ヶ所-27-岩殿山安楽寺 2019/5/12

f:id:dr100:20190512170858j:plain

f:id:dr100:20190512170906j:plain

f:id:dr100:20190512170910j:plain

f:id:dr100:20190512170915j:plain

f:id:dr100:20190512170919j:plain

f:id:dr100:20190512170923j:plain

f:id:dr100:20190512170926j:plain

f:id:dr100:20190512170931j:plain

f:id:dr100:20190512170935j:plain

f:id:dr100:20190512170938j:plain

f:id:dr100:20190512170941j:plain

巌殿山正法寺→自家用車→岩殿山安楽寺→自家用車→自宅

安楽寺(あんらくじ)は、埼玉県比企郡吉見町にある真言宗智山派の寺院。山号岩殿山院号は光明院。本尊は聖観世音菩薩で、坂東三十三箇所11番札所、関東八十八箇所75番札所、東国花の寺百ヶ寺埼玉5番である。吉見観音とも称される。 また、第9番慈光寺、第10番正法寺とともに比企三山とも言われている。この寺は、奈良時代の僧行基聖観音像を安置したのに始まるとされ、平安時代初期の武将坂上田村麻呂が堂宇を建立したと伝えられる。本尊の吉見観音は毎年6月18日に厄除観音会が催され、御開扉される。その後、源頼朝の弟源範頼が三重塔などを建てたとされるが、兵火により焼失したという。もとは息障院が本坊でありこの寺の近くにあったが、その後息障院はこの寺の南東へ約1kmのところへ移った。江戸時代前期、杲鏡によって再興された。(ウイキペディアより引用)

本日最後の訪問地です。東松山付近に9.10.11番が固まっているので、一挙に回れました。11:56、300円のお納めで、御朱印をいただきました。