dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

新百名城-83-高崎城   2015/12/20







高崎→徒歩→高崎城
高崎駅から15分ほど歩いて高崎城に到着します。高碕は県庁所在地は前橋に譲りますが53万人と群馬県最大の都市で、昔から交通の要衝です。以前は和田といわれていましたが高崎になったのは以下の伝承があります。

高崎城が和田城の跡に完成した際に、城主である井伊直政は、当地を「松ヶ崎」という名前に改めようと思った。そこで、その件を常日頃から信頼を寄せている箕輪の龍門寺の住職である白庵に話した。白庵は「もっともなことではありますが、諸木には栄枯あり、物には盛衰があるのは珍しいことではありません。殿様が、家康様の命を受けて和田の地に城を築いたのは権力の頂点に立った大名に出世されたからであります。そうであれば『成功高大』の意味を採って『高崎』と名付けた方がよいのではないでしょうか?」と言った。白庵の含蓄ある言葉を聞いて喜んだ直政は、直ちに「和田」を「高崎」と改めた。そして白庵が箕輪から転住した龍広寺の山号に、「高崎」の2字を与え感謝の意を表した。

『成功高大』→『高崎』のあたりがよくわかりませんが、文脈からすると『成功高大』の「高」と井伊直正が最初につけようとした「松ヶ崎」の「松」から一文字ずつもらったのではないかと思います。