dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。一の宮、百寺巡礼、続百名城も完訪。発祥の地、見学施設(博物館、記念館など)、寺社仏閣の御朱印もやっています。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

歴史公園-104-伊藤公記念公園 (山口県/光市) 2013/1/1


山口11:22→山口線656D→11:44新山口11:48→山陽本線3328M→12:57岩田12:58→タクシー→伊藤公記念公園
新山口駅山口線から山陽本線を乗り継いで到着した岩田駅の待合室には伊藤博文の写真が掲げてありました。伊藤公記念公園にある旧伊藤博文邸は、明治43年、伊藤公の遠祖・林淡路守通起の没後300年にあたり、林一族及び伊藤家を集めて法要を行うために建てられましたが、明治42年10月、伊藤博文は完成を目前ハルピンにて凶弾に倒れ、故郷に戻ることなくその生涯を終えました。伊藤博文と言えば日本で最初の総理大臣です。意外に知られていませんが、英語は堪能で通訳も務めたそうです。明治18年12月の内閣制度移行に際し、初代総理大臣候補は三条実美伊藤博文にしぼられましたが、初代内閣総理大臣を決める宮中での会議で誰もが口をつぐんでいる中、伊藤の盟友であった井上馨は、「これからの総理は赤電報(外国電報)が読めなくてはだめだ」と口火を切り、これに山縣有朋が「そうすると伊藤君より他にはいないではないか」と賛成、これには三条を支持する保守派の参議も返す言葉がなく、つまり英語力が決め手となって伊藤は初代内閣総理大臣となったのです。44歳で総理大臣になりましたが、現時点で彼より年下で総理大臣になった人は戦前戦後を通じて一人もいません。