dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記

百名城、百名橋、百名建築、百名公園、桜の名所百選、東京23区内一丁目一番地などを訪問しました。いまは、一の宮、百寺巡礼、続百名城を訪問中です。皆様のコメントが励みになりますので、よろしくお願いいたします。

続百名城-7-石垣山城  2018/4/15

f:id:dr100:20190225063005j:plain

f:id:dr100:20190225063008j:plain

f:id:dr100:20190225063013j:plain

f:id:dr100:20190225063023j:plain

f:id:dr100:20190225063027j:plain

f:id:dr100:20190225063031j:plain

f:id:dr100:20190225063034j:plain

f:id:dr100:20190225063041j:plain

f:id:dr100:20190225063045j:plain

f:id:dr100:20190225063049j:plain

f:id:dr100:20190225063055j:plain

f:id:dr100:20190225063059j:plain

f:id:dr100:20190225063103j:plain

f:id:dr100:20190225063108j:plain

f:id:dr100:20190225063109j:plain

f:id:dr100:20190225063114j:plain

f:id:dr100:20190225063117j:plain

f:id:dr100:20190225063121j:plain

f:id:dr100:20190225063125j:plain

f:id:dr100:20190225063129j:plain

f:id:dr100:20190225063133j:plain

f:id:dr100:20190225063137j:plain

f:id:dr100:20190225063143j:plain

f:id:dr100:20190225063148j:plain

品川1145→東海道本線3527E→1248小田原/小田原駅東口(1番線)1300→うめまる号→1320 一夜城歴史公園(ヨロイヅカファーム) 石垣山一夜城 (石垣山城)1345 →うめまる号 →1401小田原城藤棚観光バス駐車場→徒歩→小田原1435→東海道本線上野東京ライン3530E→1554上野

 石垣山城(いしがきやまじょう)は、神奈川県小田原市早川にあった陣城跡である。石垣山一夜城または太閤一夜城とも呼ばれている。豊臣秀吉が1590年(天正18年)の小田原征伐の際に小田原城の西3kmにある笠懸山の山頂に構築した。小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせる効果を果たした、といわれる(一夜城の名もそれに由来する)。(ウイキペディアより引用)

小田原駅から缶バッジの乗車券を購入(500円)して、小田原宿観光回遊バスの「うめまる号」に乗車。シニアのボランティアが案内をしてくれます。石垣山にのぼる途中から見る小田原の街がきれいです。スタンプのあるヨロイヅカファームは、亡くなった川島なお美さんの夫の鎧塚氏がかかわっているとのことです。

旅行期間:2018/4/15 旅行地:神奈川 交通費:3170円 合計:3170円

 

 

続百名城-6-品川台場  2018/4/15

f:id:dr100:20190225062813j:plain

f:id:dr100:20190225062818j:plain

f:id:dr100:20190225062822j:plain

f:id:dr100:20190225062825j:plain

f:id:dr100:20190225062829j:plain

f:id:dr100:20190225062832j:plain

f:id:dr100:20190225062837j:plain

f:id:dr100:20190225062841j:plain

f:id:dr100:20190225062844j:plain

f:id:dr100:20190225062849j:plain

f:id:dr100:20190225062855j:plain

f:id:dr100:20190225062858j:plain

f:id:dr100:20190225062901j:plain

f:id:dr100:20190225062904j:plain

f:id:dr100:20190225062908j:plain

f:id:dr100:20190225062913j:plain

1853年(嘉永6年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求を迫る。これに脅威を感じた幕府は、江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川英龍に命じて、洋式の海上砲台を建設させた。品川沖に11基ないし12基[1]の台場を一定の間隔で築造する計画であった。工事は急ピッチで進められ、およそ8か月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場(品海砲台)と呼ばれた。お台場という呼び方は、幕府に敬意を払って台場に「御」をつけ、御台場と称したことが由来である。(ウイキペディアより引用)

続百名城の中でも一番都心から近い品川台場です。お台場海浜公園駅から歩きました。こんなことでもなければめったに来ない場所です。お城というより、陣地です。お台場海浜公園案内所でスタンプをいただきました。

続百名城-5-大多喜城  2018/4/14

f:id:dr100:20190225062633j:plain

f:id:dr100:20190225062636j:plain

f:id:dr100:20190225062639j:plain

f:id:dr100:20190225062646j:plain

f:id:dr100:20190225062649j:plain

f:id:dr100:20190225062652j:plain

f:id:dr100:20190225062655j:plain

f:id:dr100:20190225062700j:plain

f:id:dr100:20190225062704j:plain

f:id:dr100:20190225062706j:plain

f:id:dr100:20190225062710j:plain

 大多喜城(おおたきじょう)は、現在の千葉県夷隅郡大多喜町にあった戦国時代から江戸時代かけて存在した日本の城(平山城)。初めは小田喜城(おだきじょう)と呼ばれていた。江戸時代には大多喜藩が置かれていた。 大永元年(1521年)に真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされる。以前は小田喜城は同町内の根古谷城のことであり、今日の大多喜城徳川家康によって大多喜の地を支配した本多忠勝が築城したものと考えられてきたが、近年の発掘によって現在の城の地下に大規模な城の遺構が遺されていることが明らかとされて、小田喜城と大多喜城とが完全に重なる訳ではない(戦国期には裏山である栗山が城の一部に使われていたが、江戸期には栗山は除かれてやや麓側に縄張りが移動されている)ものの、現在では信清の小田喜城を元にして後の大多喜城が築かれたものと考えられている。(ウイキペディアより引用)

イカーで訪問しました。スタンプのある千葉県立中央博物館大多喜城分館へ。入場料は200円でした。中は撮影禁止でしたが、見応えはありました。

 

続百名城-4-土浦城 2018/4/8

f:id:dr100:20190225062401j:plain

f:id:dr100:20190225062406j:plain

f:id:dr100:20190225062408j:plain

f:id:dr100:20190225062412j:plain

f:id:dr100:20190225062417j:plain

f:id:dr100:20190225062421j:plain

f:id:dr100:20190225062423j:plain

f:id:dr100:20190225062427j:plain

f:id:dr100:20190225062430j:plain

f:id:dr100:20190225062438j:plain

f:id:dr100:20190225062442j:plain

f:id:dr100:20190225062443j:plain

f:id:dr100:20190225062448j:plain

f:id:dr100:20190225062452j:plain

 土浦城(つちうらじょう)は、常陸国新治郡(現:茨城県土浦市)にあった日本の城。室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えた。幅の広い二重の堀で守る平城である。天守は作られなかった。太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。土浦は度々水害に遭っているが、その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)の異名を持つ。茨城県指定史跡第1号。

本日最後の訪問地、土浦城です。スタンプのある土浦市立博物館へ。入場料は105円でした。濠の上に鯉のぼりがたなびいていました。

続百名城-3-笠間城  2018/4/8

zokuhyaf:id:dr100:20190225062253j:plain

f:id:dr100:20190225062256j:plain

f:id:dr100:20190225062259j:plain

f:id:dr100:20190225062304j:plain

f:id:dr100:20190225062308j:plain

f:id:dr100:20190225062311j:plain

f:id:dr100:20190225062315j:plain

f:id:dr100:20190225062318j:plain

f:id:dr100:20190225062320j:plain

f:id:dr100:20190225062325j:plain

 笠間城(かさまじょう)は、茨城県笠間市の佐白山にあった日本の城である。江戸時代には、笠間藩の藩庁が置かれた。

かさま歴史交流館井筒屋(無料)で、スタンプをいただきました。二日前から始まったスタンプラリーなのですが、東京からの足がよいせいか、大勢のスタンパーがいました。

百寺巡礼-45-菩提山白水阿弥陀堂  2018/4/8

f:id:dr100:20190225062141j:plain

f:id:dr100:20190225062145j:plain

f:id:dr100:20190225062149j:plain

f:id:dr100:20190225062151j:plain

f:id:dr100:20190225062155j:plain

f:id:dr100:20190225062159j:plain

f:id:dr100:20190225062202j:plain

f:id:dr100:20190225062206j:plain

f:id:dr100:20190225062208j:plain

f:id:dr100:20190225062213j:plain

 白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)は、福島県いわき市にある真言宗智山派の寺である。平安時代末期の建築で、県内唯一の国宝建築物に指定されている。国宝指定名称は単に「阿弥陀堂」。所有者は真言宗智山派願成寺で、正式名は願成寺阿弥陀堂である。また、その領域は白水阿彌陀堂境域(しらみずあみだどうきょういき)として国の史跡に指定されている。(ウイキペディアより引用)

入場料は500円でした。広々とした庭園が見事でした。10:53、300円のお納めで、御朱印をいただきました。

続百名城-2-三春城  2018/4/8

f:id:dr100:20190225062014j:plain

f:id:dr100:20190225062023j:plain

f:id:dr100:20190225062028j:plain

f:id:dr100:20190225062032j:plain

f:id:dr100:20190225062035j:plain

f:id:dr100:20190225062038j:plain

f:id:dr100:20190225062044j:plain

f:id:dr100:20190225062047j:plain

f:id:dr100:20190225062051j:plain

f:id:dr100:20190225062054j:plain

f:id:dr100:20190225062057j:plain

f:id:dr100:20190225062101j:plain

f:id:dr100:20190225062103j:plain

f:id:dr100:20190225062106j:plain

 三春城(みはるじょう)は、陸奥国田村郡(現在の福島県田村郡三春町)にあった日本の城。三春町指定史跡[1]。別名舞鶴城。三春藩の藩庁であった。三春城跡は、三春町の中心部、標高407mの丘陵地にあり、戦国時代は田村氏、江戸時代は松下氏、加藤氏、秋田氏の居城であった。現在は公園として整備され、桜の名所としても知られている。城跡近くには、町役場など公共機関が集まっており、現在も三春町の中枢部である地域である。(ウイキペディアより引用)

続百名城の2城目です。マイカーで数か所をまわります。三春町歴史民俗資料館でスタンプをいただきました。入場料は、三春町歴史民俗資料館,自由民権記念館共通で500円でした。